2022年2月16日 | TOE
キリストの墓に行ってきた

書こう書こうと思って放置していた、去年GOTOトラベル時に、青森のキリストの墓に行ってきた話をしたい。
そもそも、キリストの墓が青森にあるのをご存知だろうか?
正史ではキリストは、イスラエルのエルサレムのゴルゴダの丘にて、十字架に貼り付けられ、処刑されたとされている。
なのになぜ墓が遠く離れた日本に、しかも青森にあるのか。
もうずっと前から気になっていて、夢にまで出てくるので、たまらず調査しに行くことにした。
まず、そもそも福岡から青森は遠い。今回、まず福岡から北海道まで飛行機で行き、そこから電車と新幹線を乗り継いで、青函トンネルを通って青森駅に到着、それから更に車で2時間ほどかけて、ようやくキリストの墓がある新郷村に到着する。

近くにはキリストの里公園がある。
すでに、結構な乗っかり具合が伺える。

ここからキリストの墓まで、歩いて100m、その途中に解説看板があった。

内容を要約すると、キリストは21歳の時に日本にわたり、33歳までの12年間修行した。
その後ユダヤに帰って、当時ユダヤ教が国家宗教であった故郷に、日本で学んだ思想を広めたところ、反逆罪として十字架に張り付けられることとなった。
しかし驚くべきは、実際に十字架に張り付けられたのは、身代わりとなった弟のイスキリであり、キリストは再び日本に逃れ、その後、ここ戸来村にて、106歳まで生きたというもの。
確かに、僕が掴んでいる情報の中には、それを裏付けるものと合致する部分はあった。
例えば天狗、これは欧米人にも種類があるが、赤ら顔系の白人がいるが、この鼻が高くて、顔が赤い、それをデフォルメしたのが天狗だと言われている。
つまり、欧米人が修験者の格好をしている様が天狗のモデルなのだ。
ぅおおおおおーーーーこれは期待できる。

期待を膨らませながら歩いている途中、家族連れとすれちがった
「なんだ〜これだけかよ〜(笑)」
と大笑いしながら帰って行った。
内心、薄々気づいてたが、それは言わんどいて欲しかった。
そう思いながら歩いていると、謎の石碑を発見。

元グラフィックデザイナーの僕としては、これがめちゃめちゃ気になった。
うーん、、、なんか味があると言うか、、、いや、もはや下手か。
妙にバランスが悪く、行間といい、余白の使い方といい、なんか気持ち悪い。
縦列くらいは揃えよって。
てか、直接石に刻んだのだろうか、、、下書きしろ。
とか思いつつも、この不穏な感じが、不気味さを際立たせ、逆に墓への期待が増す。
そして歩く事3分、ついに夢にまで見たキリストの墓に到着。

なるほど確かに、先ほどすれ違った家族の会話も納得だが、これだけで終わるはずがないと、後ろを振り返ると、なんと身代わりとなった弟のイスキリの墓があるではないか。

しかし、ここからが衝撃だ。
このキリストの墓を別の角度から撮影した写真をさらによく見ると、信じられないものが写っていた。
右上の木の赤丸部分に注目してほしい。

拡大してみよう、、、、、

お分かりいただけただろうか…
紛れもなくキリストだ
何かキン肉マンのようにも見えるが、キリストの墓の前なので、まず本人と断定して間違い無いだろう。
しかし、これだけでは終わらない。さらに下を見ていただきたい。

お分かりいただけただろうか…
イスキリだ
こちらはリラックマのようにも見えるが、キリストの隣で写っている以上、本人と断定して間違いないだろう。
なんでオレ?といった無念の表情にも見える。
さらに驚くべきことに、こちらは弊社スタッフの指摘があり明らかになった。

お分かりいただけただろうか…
全部で12体ある、もはや説明するまでもないだろう
12使徒だ
12使徒とは、キリストの12人の弟子だ。
師をしたって、青森までついてきたものと思われる。
しかし、まさかここまで青森が賑わっているとは思わなかった。
これこそ紛れもなく、ここがキリストの墓である証拠だ。

話を戻そう。キリストの墓の脇に石板のようなものがあった。
写真は見にくいが、イスラエルが寄贈したものらしい。
どうやらガチだ。
イスラエルと言えば、3大宗教の聖地エルサレムがある。
つまりキリスト生誕の地だ。
イスラエルがここがキリストの墓と認めてるか、認めてないかまでははっきり言ってないが、気にはなっているようだ。
これで終わりかと思いきや、奥の道を進むと、資料館のようなものがあった。

いや、いや、ここが予想外に面白かった。
世界を揺るがす、キリストの空白の歴史や秘密がここに隠れていた。
続きは次回の後編で書きたいと思う。
続く

長崎県の孤島、対馬出身。
趣味はサーフィン、音楽、オカルト捜査の旅。
幼少期より月刊「ムー」を愛読し、その影響から、口裂け女と人面犬におびえる日々を過ごす。
高校卒業後は、デザイン学校に進学するも、成績は基本最下位で、学校卒業後もフラフラした日々を過ごし、25歳の時、このままでは子供の頃、こんな大人にはなりたくないと思っていた「不自由な大人」になってしまうと考え、そこから改心する。
同時に先人の教えを学ぼうと宗教学、哲学、心理学を学び始める。
その後、印刷会社、デザイン事務所、広告代理店と、数々の会社を渡り歩く中で、元々持つ反体制的な思想からか、多くの会社は人間が本来のポテンシャルを発揮できる場所ではないと考えるようになり、29歳の時独立し、TOEを設立。
39歳からサーフィンを始める。