2020年12月19日 | TOE
空間ができると心に余裕ができる件

先日宮崎にサーフィンをしに行った時のことだ。
宮崎に到着し、海を見渡すと、すでに何人かサーファーが入っていた。
僕もはやる気持ちを抑え海に入った。
しかし、なんかいつも入っているポイントと雰囲気が違う。
場所が違うから当然なんだが、なんと表現したらいいのか、何か穏やかな雰囲気が漂っている。
ローカルの人らしき波まちしているサーファーと目が合うと、みんな積極的に笑顔で挨拶をしてくれる。
大抵、地元でも稀にそうだが、特に混んでるポイントでは、みんな結構ギスギスしていたりする。
たまに怒号が飛び交うことも目にする。
僕の経験上、基本サーファーに悪い人はいないが、とにかく雰囲気の違いを感じた。
で、何が原因かを考えた。
大抵の関東のエリアでは、人も多い分、サーフィンできる場所も限られる。サーファー同士も密になり、人との距離が、数十cmだったりもする。
一方、宮崎は人も少ない上、場所もふんだんにある。
故に、人と人の距離が離れている。
つまり、逆に距離感の近さが緊張感を生むと言える。
いわゆるパーソナルスペースとも言われるが、僕もよく福岡と東京を行ったり来たりしているが、東京の都心部に行くと、その距離はより近くなる。
よく地方の人は「東京の人は薄情だ」と言ってるのを聞く。
実際そういうことはないのだが、街を歩くとそう思う気持ちはわかる。
普通に考えるとそんなに距離が近いと、もっと親密になりそうだが、実際はその逆なのだ。
これは近すぎるが故の、パーソナルスペースを維持しようとするが、すでに片足突っ込んできている隣人に対し、無関心になるという自己防衛なのだと考える。
昔、僕は6畳のワンルームの狭い部屋に住んでいた。
ある時、これは自分への投資と考え、思い切って家賃が2倍近くする広い2LDKに引っ越してみた。
結果この試みは成功だった。
その理由は二つあり、一つは散らからないということだ。
基本僕の部屋は汚い。
そりゃワンルームの時はヒドかった。
しかし引っ越して、なんなら築年数も古く、物の量はむしろ増えたのに、ワンルームの時と比べ、部屋がキレイになった。
厳密にいうと散らかり具合は変わってないのに、単純にスペースが広くなった分、散らかり具合が「薄まった」と言ったほうが正しいが、それでも部屋がいつもキレイだと感じていた。
もう一つは、気持ちに余裕ができた。
部屋がキレイと感じるからというのもあるが、心境に明らかな違いを認識できた。
このことからも空間の広さは、精神的な余裕とリンクしていると思われる。
昔、確か糸井重里が言っていたが、「スペースがあるから入ってくる」という言葉を聞いて、それを思い出した。
逆に物理的にも、精神的にもスペースを開けておかないと、新たなものが入ってこないし、受け入れきれないということだ。
都市は、様々な情報も集まるし、選択肢も多く、非常に便利で自由のように見える。
しかし、人はどこも多いし、土地の関係上住むスペースも限られる。
そこに住んでると見えないが、離れて見ると実は自由なようで、不自由なのだ。
ユダヤ人の教えに、いろいろケチれ、でも住む場所だけはケチるなという教えがある。
その真意を宮崎で再認識した1日だった。
リモートワークが叫ばれる今、僕たちはもっと物理的空間と精神的空間について、もう一度考え直さないと行けないのかもしれない。

長崎県の孤島、対馬出身。
趣味はサーフィン、音楽、オカルト捜査の旅。
幼少期より月刊「ムー」を愛読し、その影響から、口裂け女と人面犬におびえる日々を過ごす。
高校卒業後は、デザイン学校に進学するも、成績は基本最下位で、学校卒業後もフラフラした日々を過ごし、25歳の時、このままでは子供の頃、こんな大人にはなりたくないと思っていた「不自由な大人」になってしまうと考え、そこから改心する。
同時に先人の教えを学ぼうと宗教学、哲学、心理学を学び始める。
その後、印刷会社、デザイン事務所、広告代理店と、数々の会社を渡り歩く中で、元々持つ反体制的な思想からか、多くの会社は人間が本来のポテンシャルを発揮できる場所ではないと考えるようになり、29歳の時独立し、TOEを設立。
39歳からサーフィンを始める。