2022年3月4日 | TOE
日本に隠されたキリストの謎が想像を超えてた件


今回は前回のキリストの墓に行ってきたの続きで、敷地内に資料館があったので行ってみたが、規模としては、決して大きいとは言えないが、中身はもちろん主にキリストにまつわる話であるが、今まで聞いたことがないような情報の宝庫だった。
ちょっと長編になるが、想像以上に面白かったので、その時の話をする。

入ってすぐ目に入るのが、この謎の地球儀だ。
「世界不思議儀」と言って、オカルト好きには常識であるムー大陸やアトランティス大陸、その他、世界に伝わる謎の情報源の位置を示している。
ここまでの物にする必要あるか?とは思うが、着眼点が面白い。
それよりもさらに驚くべきは、その横には我らの聖書「ムー」が置いてあるではないか。

普通、オフィシャルな資料館でムーを置いてる資料館が他にあるだろうか?しかも一番目立つ場所に。
もはや期待しか抱けない。

その中の記事がピックアップしてあった。
要約すると、ここ戸来村(現在は新郷村)ヘブライが訛ったや、生まれた子供を初めて外に出すときに額に十字を書く、あとはお盆に木を十字に組み上げ電球をぶら下げた十字架を家の前に置く風習があるなど、「ぜったいキリストおったやろ」と言わんばかりの謎の風習が残っているというもの。
さらに衝撃は、戸来村の近くにある高原「迷ヶ平(まよがへい)」こそ、エデンの園であると言うもの。
現に昔、この場所に外国人が住んでいたという話が残っているらしい。
確かに青森といえばりんご、アダムとイブが食べるな言ったのに、食べたのもリンゴだ。
このリンゴは青森産だったと言うことだろうか?
ますます臭ってきた。
他にもあった。

なんと、日本にあった墓はキリストだけでなく、モーゼと楊貴妃の墓まであったと言うのだ。
モーゼまではいいとして、楊貴妃きたか。。
ちなみに余談だが、和歌山を旅した時、漫画キングダムの秦の始皇帝が、不老不死の薬を探すために派遣したはずの「徐福」の墓が、なぜか日本のしかも和歌山の田舎にあったのも思い出した。
これもなかなかビックリする話が満載なので、今度別で書きたい。
話をもどす、展示物として、まさかのキリストの遺言書まであった。


ここ戸来村で十来太郎大天空(とらいたろうだいてんくう)と名に改め、後にユミ子という女性と結婚し3人の娘がいて、106歳まで生きたらしい。
なかなかの長寿だとは思ったが、それよりも今までキリストといえば崇高で神っぽいイメージだったが、結婚もして子供もいたと言うのは、いかにも俗っぽくて、急に親近感が湧いた。
と言うことは、聖書によればキリストの母親のマリアは処女のまま、神からある日突然子供を授かったとあるのに対して、キリストはちゃんとセクロスしていたと言うことになる。
もはや、同じ仲間のようにも思えてきた。

そして、こちらがそれらのキリスト日本渡来説の発端となった竹内文書(たけうちもんじょ)の説明だ。
皇祖皇太神宮に代々伝わる、神代文字(超古代の文字)で書かれた人類の歴史書で、1928年にその神社の神職の竹内巨麿が一般公開したもので、当時これがあまりにも正史とかけ離れており、衝撃的内容であるのと、これまでの国が作った古事記、日本書紀等のその他暦書、天皇の歴史を否定するものであったため、不敬罪に問われ、竹内巨麿も法定にかけられ、偽書扱いされ、闇に葬られていたまさに禁断の書だ。
しかし、依然これを研究し支持する人も多く、近年また注目を集めている。
とにかく仰天の内容なので、今度改めて紹介したいが、この中でキリストが日本に来たとの記述があるのだ。
以下はキリストが辿った足跡。

キリスト教の聖地エルサレムがあるイスラエルからも石板を寄贈されており、お墨付きのようだ。

そして、それを裏付ける証拠がいくつもあった。
その一つとして、この一体にはナニャドラヤという謎の盆踊りの唄があり、その言葉も歌詞の意味も明らかに日本語ではなく、意味が不明らしい。
様々な説があるようだが、ヘブライ語起源説というのが有力らしい。

キリストの子供の子孫が沢口家として今もあるらしく、その家紋が星型でこれも日本には見られない形で、ダビデの紋章を模したものと言われている。
その子孫が代々キリストの墓を守ってきたらしい。

その痕跡は村の風習にもあった。
赤ちゃんを生まれて初めて外に出すとき、額に十字を書くという慣しがあり、他にもおまじない等で十字が多用されているらしい。
あとは、エジコと言われる縄で編んだ丸いカゴを揺りかごとして、赤ちゃんを育てていた。
これはユダヤ人が使うヨーランと酷似している。
他には魔除けとして、チャンチャンコにダビデの紋章を入れたり、農作業着がユダヤの作業着に似ていたり、極め付けは聖書ではエデンの園に出くる男を「アダム」女を「エバ」というが、村の方言で大人の男を「アダ」女を「アバ」と呼んでおり、それぞれが訛ったものだとか。

奥に進むと鏡が置いてあった、なぜこんな所に鏡があるのかと前に立ってみると、これが衝撃の物が写っていた。
ぜひ音大きくして、見て欲しい。
お分かりいただけただろうか?
もはやキリストが日本に来たとか、どうでも良くなるくらい衝撃だった。
これいる? 何のためこの演出を仕掛けた?
ただ昔の風習を展示するだけなのに、何のために恐怖におとしいれる?
さすがはムーを置くだけはある、油断はできない。
面白すぎて何度も鏡の前に立ってしまった。


うーん。。。改めて不気味だが、この感じなんかクセになる。
話を戻すとキリストはまだしも、この村にはピラミッドまであると言うのだ。
実は日本には、ピラミッドがあり、しかもそれは1個2個ではない、複数個ある。
ピラミッドと言えば、エジプトだが、それより前にすでにあったと言われている。
ではなぜそこまでメジャーではないかと言うと、日本のピラミッドの場合、クフ王のピラミッドのような綺麗な形状のものは現存しておらず、もはや古すぎて、その上に草木が繁っているため、一見山にしか見えない。故に、ピラミッド認定はされてるものの、全く盛り上がってないのが現状だ。
しかし、その一つがここにあるとまでは知らなかった。
この村、盛り沢山すぎるだろ。
大石神ピラミッドと言って、しかも日本最古らしい。しかも数万年前。

実際こんなにある。

刺さる人が非常に狭い資料館ながら、僕的には大満足で一巡したところで、つい受付のおばちゃんと色々話し込んでしまった。
沢口さんはもう引っ越したとか、ピラミッドの場所など突っ込んだことを色々教えてくれた。
そして、受付には色々なグッズが売ってあったので、お礼も含めキリストの墓の手ぬぐいをお土産に買っていくことにした。
するとおばちゃんが『これ買った人、あんたで3人目ズラ』
ちょ、待てよ。
今6月やから、年間で6枚しか市場に出回ってない計算になる。これはレアだ。

しかし、僕はこれをもらったらテンション上がるが、これをお土産でもらって喜ぶ人がはたしているだろうかとも思いながらもお土産とすることにした。
外には、ピラミッドのオブジェがあった。
世界各地にピラミッドのオブジェはいくつか存在するが、それを作るのは、だいたいフリーメーソンかイルミナティというのが相場だ。
まさか、こんな青森の山奥の村にまで手が及んでるとは。。。

中に入って絵馬を吊るせる、謎の仕様になっている。

車に向かう途中右を見ると、キリストの墓の敷地内なのに、普通の人の墓があるではないか。
そういうパターンありなの?
と、よく見ると沢口さんの墓だった。それは納得。

車に到着し、いざ帰ろうとすると、目の前に売店らしきものがあったので立ち寄ることに。

『キリストっぷ』
これはさすがに乗っかり過ぎだろと思いつつも中に入って見ることに。
ドアを開け『すい、、』言い終わる間もなく、開口一番
『ウチは、大手コンビニチェーンとは関係ありません』
と言いながらおばあちゃんが2名でて来た。
薄々わかってはいたが、そこまで堂々と言われると
『なんか疑ってゴメン』と思ってしまった。
ここでも、お茶をいただきながらおばあちゃん達と談笑していた。
ふと商品ケースを見ると、キリストっぷオリジナル商品と先ほどの資料で買った手ぬぐいも置いてあった。
ここまではよかったのだが、手ぬぐいの値段を見ると、資料館で1500円で購入したものが、ここでは同じものが1000円で売られており、500円安かった。
僕は特に何も考えず
『こっちの方がちょっと安いんですね』
と言うと、次の瞬間おばあちゃんの顔色が変わった。
おばあちゃん(おば)『え!?それほんとね!?』
僕『あ、はい。。。』
おば『いくらやったんね?』
僕『1500円でした。。。』
あ、なんかヤバイ空気なってきた
おば『それはいかん!ちょっとおばちゃん言ってやるから!』
僕『いや、大丈夫ですよ』
おば『いや、いかん。ちょっと電話するからちょっと待って』
僕『本当に、いいです』
(おいおい、頼むからことを荒立てるなよー)
まさかとは思ったが、本当に電話してるようだ。
(いや、ホントに、ガチで、マジでリアルにやめてくれー)
このままでは資料館のおばちゃんも良くしてくれたのに、なんか恩を仇で返すような感じなっちゃうじゃんと思いながら、電話の内容に聞き耳を立てているが、いまいち青森弁なのか、一部聞き取れないが、なんか話は大ごとにはならずに落ち着いたようだ。
おばあちゃんがお詫びにと「時期を過ぎると、美味しくないけどね」と言ってりんごをいただいた。
僕もここでもお土産に、需要の薄そうなキリストっぷのタオルを何個か買って帰ることにした。(個人的にはとても気にいって使ってる)
実際、帰ってそういうのに全く興味のない友人に一方的にお土産として渡したところ、複雑そうなリアクションだった。

帰る途中、一日いろいろあったことを思い出しながら、青森は雰囲気もいいし、みんな親切でいい人達だったなと思いつつ、いただいたりんごのことを思い出し、いただくことにした。
おばあちゃんが、しきりに時期を過ぎたから美味しくないけどと連呼していたが、とはいえ青森と言えばりんご、まずいわけがないだろと、青森の人はほんと謙遜する人が多いなと思いつつ、食べてみると、
うん、確かに微妙ではあった。
しかし、おばちゃんの優しさを感じつつ、今日の思い出を噛み締めながら美味しくいだきながらホテルに帰った。

長崎県の孤島、対馬出身。
趣味はサーフィン、音楽、オカルト捜査の旅。
幼少期より月刊「ムー」を愛読し、その影響から、口裂け女と人面犬におびえる日々を過ごす。
高校卒業後は、デザイン学校に進学するも、成績は基本最下位で、学校卒業後もフラフラした日々を過ごし、25歳の時、このままでは子供の頃、こんな大人にはなりたくないと思っていた「不自由な大人」になってしまうと考え、そこから改心する。
同時に先人の教えを学ぼうと宗教学、哲学、心理学を学び始める。
その後、印刷会社、デザイン事務所、広告代理店と、数々の会社を渡り歩く中で、元々持つ反体制的な思想からか、多くの会社は人間が本来のポテンシャルを発揮できる場所ではないと考えるようになり、29歳の時独立し、TOEを設立。
39歳からサーフィンを始める。